過去の栄光を語る人間

昔は

(1)野球で優勝したんだ

(2)会社で役員だったんだ

(3)学力テストでクラスで一番だったんだ

(4)女の子にもてたんだ

 

「~だったんだ」を探し始めるとキリがありません。この「~だったんだ」という前置きを入れて会話を始めてくる。あるいは会話の所々で話してくる人間が結構います。

この後に続く言葉としては

 

でも今は

(1)会社の野球クラブでなあなあでやってるんだよね

(2)役員降格して平社員で頑張ってるんだ

(3)大学受験を失敗して浪人生なんだ

(4)今は女の子と何の縁もないよ

と言われ聞いている方は何と言葉を切り出せばいいか戸惑います。

「~だったんだ」と前置きを入れて話してくる人間は少しでも自分を他人に良く思って貰いたいのか。すごいと思って貰いたいのかと疑問に思う。

私は冷たい人間なので過去の栄光を前置きに話されても「ふーん、そうなんだ」としか思いません。高校、大学、会社での交流関係で初めてあった人に過去の栄光を語られても実際にその栄光を現場で見てないし、私はイメージするのが苦手なので想像しずらいし本当にそう思えない。

 

正直私には過去に何かで実績を残した。表彰された。特別な才能がある事がなく無能な人間です。正直子供の頃から今まで努力をして何かで実績を残す、栄光を掴むことをしてきませんでした。

 

だから他人の過去の栄光の話に対して私は何も響かないのか、それとも私が幼い心(ガキの心)を持ち他人の栄光を妬むのか?

 

私にはわからない?

 

私も過去の栄光を語れるような経験、実績を積むべきかそれがホントに他人を妬まなくなるのか考えてしまう。

 

私に過去の栄光があったら私も過去の栄光を前置きに話を進め「でも今はこうなんだよね」と愚痴を言った人間になっているのでは

 

それが怖い

 

周りに過去の栄光を前置きに話してくる友達、会社の同僚、上司はいませんか。

 

あなたはどう思いどう感じるか私はどうすればいいか誰か私に教えてほしい